本日も無駄な電波を出しつつ2箇所ほど鉱山跡を見て回りました。
秋田県横手市に帰って来て2年ちょっと、だんだん横手を中心に秋田県南と岩手県南あたりの土地勘が働くようになってきたように思います。
無駄電波を出しながらウロウロするのを楽しめる習性のおかげかなと思っております。
そもそも2年前までワタクシが知っていた横手(よごで)は以下の地図の水色内だけでしたので、APRSのあかげでだいぶ広い範囲で土地勘が出来てきて、着々と土着化が進行しております。これ大事だと思っております
なぜなら、社会人になって30数年、会社も所属もひとつだったものの、国内の半導体製造ライン新設計画が出るたびに転勤や長期出張を繰り返していたため同じ場所に続けて2年以上住んだことがなく、愛着のある土地などなかったからです。極端な場合、ビジネスホテルの同じ部屋に1年半泊まっていたときもありました(これはもうね、住んでいたなんて言いたくない)
横手市に来てから自分の戸籍の附票の写しを取ったとき7枚出てきたし、こういうの根無し草っていうんでしょうかね・・・
いま、初めて同じ場所に2年以上住んでこれからも住み続けるだろう横手に、土地勘と同時に愛着がわいてきており嬉しいというか安堵しております。年齢も年齢なのでね
50歳過ぎて初めて定住するってこれだけ聞くとどんな社会人だよって思われるだろうから誰にも言えないな 大汗
| ワタクシの知っていた横手(よごで)の範囲 狭い! | 
地図に水色の線入れをしていて思いました。この範囲ってとても古い横手(よごで)なんじゃないか?
ワタクシは今でいう中央町(昔は馬喰町だった部分)で生まれ育ちましたが今は実家が引っ越してジョーリっていう聞いたこと無い、よごでの外れのほうに住んでます
で、昔のよごで(秋田県平鹿郡横手町)を調べてみました。
| 平鹿郡横手町 明治22年の町村制開始時 | 
ワタクシが思ってた「よごで」の範囲は平鹿郡横手町のコア部分だったのか・・・
さらに、別の昔の地図で「平鹿郡庁舎」ってのが今でいう横手区検察庁の場所にあったのを発見。この手書きの地図は上が南、下が北になっていて中心が蛇の崎橋、左が根岸町です
横手区検察庁は別の表現だと、横手中央公民館の道路を挟んで向かいというか横手幼児園の横です。
ん?
横手「中央」公民館に「横手」幼児園、そして「平鹿郡庁舎」が有った、というか平鹿郡庁舎以外は現存しているけど、ここら辺は本町という町名だし施設の名称からして当時は横手の中心部だったのかな?
昭和40年~50年代、横手市役所が大町に有って市民の生活の中心部が四日町と大町だった時代、横手幼児園を卒園して横手北小学校の帰り道に横手中央公民館で遊んでいたワタクシは明治から昭和にかけての横手の様子が気になってきました・・・
なんだか長くなりそうなので以上です。続きそうな予感 笑
0 件のコメント:
コメントを投稿